人生に失敗した!と思った時に立ち直るための3つの方法

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あなたは人生で失敗したことがありますか?過去に失敗したことがある、または今現在失敗の真っ只中にいるという方もいるかもしれません。

自分の人生で失敗をしてしまったと思うと、その度合いによってはもう取り返しがつかないと思ったり、将来に対し絶望的な気持ちになってしまうことも……

でも待ってください。本当にそれって、あなたの人生での「失敗」なのでしょうか?反省は大事ですが、いつまでも自分を責め、罪悪感に苛まれる必要はありません。

今回はまず「失敗」自体の意味を考察し、そしてその「失敗」から立ち直るための3つの方法をご紹介します。

「出来事」が「失敗」に変わるとき

そもそも、「失敗」とは何を指すのでしょう。自分が決めていた目標に届かなかったことでしょうか?皆が定義を知っている(と思っている)一般的な言葉ですが、実はとても主観的な言葉だということがわかります。

これまで自分が「失敗」と思ってきたことを思い返すと、ある共通点が見えてきます。それは、いつも「失敗」を決定づけるのは自分自身だということ。

自分で「失敗」と決めた時初めて「出来事」は「失敗」へと姿を変えるのです。これはある心理学者の論理においてとても分かりやすく説明されています。

ジグムント・フロイト、カール・ユングと並び「三大巨頭」心理学者として数えられる、オーストリア生まれの心理学者・精神科医のアルフレッド・アドラー。

彼は、人は自分が「意味づけ」した世界に生きており、それ次第で全く違った人生を生きることになると説きました。

「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。」

(アルフレッド・アドラー著『人生の意味の心理学』より引用)

彼の論理を参考にして考えてみると、いつも最終的に「出来事」に「失敗」という意味を加えているのは私たち自身であるということが分かってくると思います。

それではここから、私たちが一旦意味付けてしまった「失敗」から立ち直るための3つの方法の説明に移ります。

「失敗」から立ち直るための3つの方法

「失敗」を容認している自分を自覚する

まず大切なのは、自分の人生において「失敗」を容認している自分に気づくこと。

人は基本的に「失敗」という言葉を恐れ、もちろん「失敗」は避けたいと強く思います。しかし隠れた心理では「失敗」しそうな自分を客観的に眺めていて、いざ自分が「失敗」したと思った時、絶望と同時にどこか安心を覚えているようなところがあるのも事実。

複雑な心理ですが、同時に「自己防衛」「安全装置」という言葉を思い浮かべてみると、少し分かり易く感じるかもしれません。「失敗」するかもしれないという恐れは、特に物事をネガティブな方向に考えがちな人にとって堪え難いものがあります。

その底無しに見える恐ろしさよりも、予め自分で「きっとまた失敗するだろう」と予測する方を選びます。そう思っておけば、後で何が起こっても「やっぱり思った通り失敗した」とそれ以上傷つくことはないはずという心理が働いているのです。

このように、「自己防衛」「安全装置」は生きていく上で自分を守る大切な要素ですが、使い方によっては結果的に逆の働きをしてしまいます。

まず自分が「失敗」をどこか容認していると自覚することで、この自己破壊的な傾向に陥るのを防ぐことができます。

失敗は他人が決めるものではない

人が「出来事」に「失敗」という意味を与えるとき、多くの場合は自分の思い込み若しくは過去に他人から言われた言葉が大きく影響しています。

他人に「それは明らかに失敗だ」と言われたとしても、最終的に決めるのは自分です。単なる強がりだと解釈される可能性もあるでしょう。しかし、他人にどう思われるかを気にしたところで、誰も自分の人生の責任をとってはくれないのです。

そして同時に、自分以外の他に誰も、自分の人生をコントロールすることも、評価することもできません。客観的に見れば「失敗」と取れるようなことであっても、いつもその「失敗」の向こう側へ働きかけるような能動的姿勢が大切です。

「失敗が自分の方へやってくるかもしれない」と恐れるのではなく、自分から「『失敗』と呼ばれるもの」へ立ち向かっていくこと。そして(少々激しい表現ですが)それを「喰いつぶす」イメージです。

つまり、失敗を恐れずチャレンジするということです。

何事も、向こうからやってきてこちらは為す術がないと思うと辛いもの。しかし逆に、それならこちらから行ってやると気持ちを前のめりに持って行動すると、少しずつですが何かが変わってくるはずです。

「原因論」ではなく「目的論」で物事を考えてみる

前述したアドラーの論理の続きで、もう一つ興味深いものがあります。それは「目的論」によって物事を捉えるということ。

「目的論」では、過去の出来事や経験が要因となって現在を決定づけていると説く「原因論」や「決定論」と反対に、ある目的を果たすために過去の出来事や経験を記憶の中から見つけ出してくると考えます。

これを理解する際、アドラーの著書の翻訳等を手がけている哲学者・カウンセラーの岸見一郎氏の挙げている例が大変参考になります。

人は誰かに恋心を抱いた時、得てして「なぜこの人のことを好きになったのか」と好きになった「原因」を探し出そうとします。しかしその「原因」は後付けのものに過ぎません。

その証拠に、恋心が冷めてしまった途端、あんなに好きだった相手の長所が短所に思えてきます。ここで何が起こっているかというと、もうその相手との関係を続けていく意志がない自分を正当化するために、相手の欠点を探し出そうとしているのです。

これを参考にして自分の発想の転換を試みると、普段私たちは自分を正当化する目的のために「失敗」を決定づける理由を探し出している、と考えることができます。

つまり、「目的論」で物事を考えていくと、今現在の行動によって未来、そして過去の意味さえも変えていけるということが明確になってきます。自分の人生のコントロールが戻ってくるような感覚をおぼえ、前向きな気持ちになってくるでしょう。

まとめ

失敗は単なる出来事であり、私たちがそれに意味を与えて初めて「失敗」になります。そして、一旦そう意味付けてしまった出来事も、今現在どのような「意味づけ」を行うかによって変えていけるのです。

最後に、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの名言をご紹介します。

“I am not concerned that you have fallen; I am concerned that you arise.”

「あなたが転んだことに関心はない。そこからどう立ち上がるかということに関心があるのだ。」

私たちに課された使命は、自分の人生をまっとうすること。それは他の誰も取って代われない、自分にしかできない仕事です。

過去の自分に対する反省はもちろん大切ですが、過去の自分に捕らわれるあまり前に進めないようでは元も子もありません。

最も大事なのは、今ここから自分がどのような選択をし、行動していくかということ。

 人生は自分次第、全てが自分の肩にかかっていると感じるのは辛いものです。しかしアドラーが説いたように、裏を返せばそれは「自分には人生を変えていける力がある」という確かな事実なのです。

 

 

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