見返りを求めない人になるための4つの方法

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困っている人を見かけると、力になりたいと思って、時間や労力を割くことがあります。しかし、相手の状況や気持ちをくみ取れないうちは、「感謝される」という満足感を、見返りとして求めていることになります。

うまくその思いに相手が応えられればよいのですが、必ずそうなるとは限りません。せっかく相手に時間や考えを割くのですから、うまくいくようにするために、4つの方法を紹介します。

「ひねくれている!」と否定したくなる内容もあると思いますが、参考にしていただけると幸いです。

名誉欲を見返りにした「いい人」をやめる

困っている相手に手を差し伸べるということ自体は、すばらしい行為です。しかし、見返りを求める人の動機には、相手を自分の「いい人」アピールに利用し、自尊心を満たしたいという思いが、精神的な見返りとして隠されています。

相手の考え方や言い分に対して敬意を払うことを忘れないのであれば、別にその動機であっても問題はありません。また、この場合には、相手も一生懸命向き合ってくれたことがわかるので、感謝の思いも受け取ることができるでしょうから、精神的な見返りが問題になることは、まずありません。

しかし、問題となるのは、相手に敬意を払いながらの問題解決よりも、自分の「いい人」アピールや、自尊心を満たすことが優先になる場合です。相手の話を聞いて力になるつもりが、気づいたら自分の話にすり替わって、相手が何をどうしたいのか理解できないまま、時間が過ぎ去っていませんか。

その時間があれば、課題を共有して、解決に向けて力を合わせることができたはずです。したがって、満足感を見返りにして、「いい人」であり続けることは、お互いにとって時間の無駄です。

さらに、困っている人にとっては、自分で納得して、解決に向けた行動をするためのエネルギーや時間が、その名誉欲のためだけに、奪われることになってしまいます。

それよりも、困っている人の考えを受け入れつつ、より良い方向に向かうように、力を合わせることのほうが、相手のためになる、よほど名誉なことではないでしょうか。

「お役に立てれば」でとどまる

自分の名誉欲のためではなく、単純に相手の力になりたいという動機で、困っている人に手を差し伸べたり、一緒に汗をかいたりしても、うまくいかないことはあります。

すると、どんなに最初は相手のためだと思っていても、「いつまで自分の時間や労力を割けばいい?」という気持ちになるのも、無理はありません。

実は、それこそが、見返りを求める心です。ひとくちに見返りといっても、相手に対して直接的に何かを求めることだけが、見返りではありません。

どんなに相手の話を聞いて、尊重する姿勢を持ちながら、力になろうとしても、最後に行動するかどうかを決めるのは、相手次第です。このことを忘れてしまうと、結局、自分が報われたいだけになってしまいます。

してもらう側は、手を差し伸べてくれたこと、力になろうとしてくれたこと、一緒に汗水流してくれたことなどについては、感謝しているはずです。

しかし、心の準備ができていないうちに、物事が進んでいくことに対して恐怖を覚えているかもしれません。

自分の意見はあくまで「参考」程度にしかならない、と考えておいた方がよいです。それで、相手がもし、自分の意見を「画期的だ」と思って、行動に移してくれたなら、お互いにラッキーなこととなるでしょう。

「寂しさ」の感情に気付き、一歩引く

相手から何か相談を受けたときや、相手の困りごとを見聞きしたときなどに、相手の気持ちに共感することは大切なことです。そして、相手の問題解決に一役買うことができたのであれば、それはとても名誉なことです。

しかし、どんなことを言われても、どのように手を差し伸べられても、相手の問題は、相手が自分で行動しなければ解決しません。そこで注意したいことが、普段から他人の問題を解決したいと思う人や、共感能力の高い人によく見られる「優しさ」の裏側です。

実は、見返りを求める人は、困っている状況にある相手との「一体感」を得るために、「優しさ」を持ち出すのです。そしてその根底にあるのは、自分のことを認めてもらいたいという「寂しさ」です。

自分と他人は別の人物なので、考え方も行動のパターンも全く同じになるということはありません。そのことを理屈ではわかっていても、心が孤独を感じてしまうことがあります。

その状態で、相手にアドバイスをしたり、相手のためだといって行動をしたりすると、相手との一体感を得たい気持ちが強くなってしまいます。問題は、相手との一体感を得られれば、相手の視点に立った問題解決は、後回しになってしまうことです。

さらに、困っている状況にある相手は、あなたの優しさにすがりつきたくなることもがあります。その時に、「優しさ」を盾にした、「寂しさを埋めたい」「一体感を得たい」という見返りの欲求が強くなると、相手の判断力、行動力、自尊心を奪ってしまう結果にもなります。

「優しさ」が強いキャラクターが、自他ともに認められる状態では、「人の好意に言いがかりをつける失礼な行為だ」と思われることもあります。

しかし、相手の考えや置かれている状況を、「寂しさ」から来る「救いたい思い」で飲み込んでしまうことこそ、本当に前に進みたいと悩んでいる相手に対して、失礼なことではないでしょうか。

残念ですが、相手のことを完全に理解してあげることは不可能です。「できるときにできることで力になりたい」と言って、一歩引いたところから見守るほうが、相手のためになります。

そして、あなた自身も、一歩引いた心の余裕で、自分自身の寂しさについて、困った人を利用しないで対処することを考えましょう。それができるようになれば、困った人の出方について、いちいち自分が動じる事もなくなり、あなた自身もタフになるのです。

相手の不確かさも見積もっておく

相手の考えや行動を受け入れながら、順調に話を進めていても、相手の状況が変わってしまうことがあります。相手も一生懸命、助けてくれている人達に応えようとするのですが、たとえば環境の変化や体調の変化など、気を付けていても避けられないことが原因で、話が止まってしまうこともあります。

あからさまに人を困らせようとする心変わりは論外ですが、こうしたやむを得ない事情についても、「何が何でも」と思ってしまうことは、ないでしょうか。相手のために自分がしてきたことについて「結果を得る」という見返りを、強く求めることになってしまいます。

自分が相手のことを立てながら、力になれる範囲で力になろうと頑張ってきたことについては、尊重されるべきことです。しかし、それは自分や周りの人が認め、糧にすればよいのです。

さすがに何回も、不測の事態といって結果が出ないことが続くと、自分の感情が憤りやいらだちに支配されてしまうでしょう。しかし、相手の行動を決めるのは相手自身なので、「そういうこともある」と割り切らざるを得ないでしょう。

相手だって、好意でしてもらったことについては、一生懸命相手なりに応えようとしていたはずです。それを思うと、寂しいことではありますが、「不確かさを見積もるべき相手である」と考えることで、相手との距離感を見つめなおし、報われない気持ちから解放されることになるのです。

まとめ

「善意」や「好意」に名を借りて、相手に近づくことで、自分の欲求を満たすことを「見返り」とする気持ちは、自然な感情ではあります。しかし、度が過ぎると、本当に自分が望んだ結果が得られなくなります。

仮に、自分の願いが、相手に望んだ結果を手に入れてもらうことであっても、それを強く望みすぎると、それ自体が「見返り」となり、相手にもプレッシャーを与えてしまうことになります。

むやみやたらに困った人の所に突っ込んでいくのではなく、自分のできることから、少しでも力になれたなら、という、控えめな姿勢でいたほうが、お互いにとってプラスになり、自分で気づかなかった「見返り」への執着も手放せることになります。

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